Love Train








(ああ、またかよ)



 これで幾度目になるか分からない。
(これだから、満員電車は嫌いなんだ)
 何の遠慮もなく下半身に触れてくる指が、とても不快でたまらなかった。

 はずだった。





 家から学校まで自転車や徒歩では遠過ぎて、けれども車も原付も持っていない女子高生な慶次にとって、電車という移動手段は必要不可欠である。
 しかし学生と社会人、立場は違えど朝の通学は通勤ラッシュとどうしても時間が被ってしまう。
 人と触れ合うことは嫌いではない慶次であっても、この密着状態は耐え難いもので。
身体を動かそうにも自由が利かず、時折くる大きな揺れで思い切り足を踏んづける事も、またその逆も多々起こりうること。
 そんな狭く暑苦しい車内、慶次につきまとってくるのは浅ましくも性欲に飢えた男たちの指先だった。
 振り返って顔を見れば、手を退けるどころか更に深く触れようとすることが慶次には到底理解できない。
 初めは勿論驚きもし、感じる嫌悪感に背筋が粟立った。それでも、ある時は同じ学生、またある時はサラリーマン等乗れば必ず
伸びてくる手を、小さい頃から教わってきた体術で悉く捻り上げて制裁を加えることは忘れない。
 涙を目に浮かべ痛がる様子を冷めた顔で見詰めて。
「そんなんじゃ、モテないよ。カッコ悪い」
 駅員に引き渡し鼻で軽くせせら笑えば、大抵の男は肩を竦めて小さくなってしまう。
 今日慶次が乗っているのは、都合の良い事にドアの真ん前。駅員に突き出すには最適の場所である。
 勿論、今回も、そうするつもりだった。

(…なんか、違う…)

 感じる指の動きに、覚えがある。
 するすると脇腹や尻を制服の上から撫でる指が妙に心地良く、慶次は快感に追い上げられていく。いつものように振り払う事も捻り挙げる事も、何故かしようと言う気にならない。
 いや、なれないのだ。
(何で?)
 身体にじわりと熱が広がっていくのがわかる。指先1つで。それも、直に触れているわけでもないのに。
 触れる手を少しでも止めようと緩く掴んでみたところで、状況は何も変わらなかった。慶次のたわわな胸が、付け根から掬う様に持ち上げられる。
(ちょっと、流石にマズイって)
 柔らかく揉みしだかれていく感覚に、はふ、と熱い吐息が漏れた。
 頭の中では既に警鐘が鳴り響いているのが分かるのに、それなのに、身体は与えられる刺激に従順で。足元が揺れるのを、ドアに手を付いて堪えた。
 そして、腰に回る片腕がそれ以上に倒れるのを支えている。
 痴漢に感じてしまうなど笑い話にもならないではないか。
 湧き上がる悔しさに下唇を強く噛み締める。その間も止まる事の無い指の動きに俯いて小刻みに肩を震わせると、口の中にじわりと鉄の味が広がった。
 不意に、慶次の耳元の空気が動く。
「…おいおい、感じ過ぎて泣いてんのか?」
「ッ!!…だっ誰が…っ!」
「Stop!声がデカい!」
 囁きに反し車内と言う事も忘れ大きな声で返す慶次の口を、掌が覆い隠す。
 振り返った先にある顔を視界に捕らえた瞬間、慶次はこれ以上ないほどに大きな目を見開いた。
 右目には眼帯、切れ長の隻眼を細め笑い混じりに此方を見詰めるのは紛れもなく。


「Good morning,my honey?」


 慶次の恋人、伊達政宗、その人。
「んーっ、んーっ!」
「っと…sorry」
「…っは…苦しかった…っ!っていうか、何してんだよ!」
「朝のスキンシップだ。公共の場だ、声が出ない程度に抑えただろ?」
 押さえていた口から掌が外れるのと同時に、大きく慶次が息を継ぐ。
 悪びれる様子もなく言ってしまわれると、抑えるとかいう問題ではないと言う事も何だかバカらしい。自由になる政宗の片腕は慶次の
 腰へと回されて、ぴたりと身体が密着した。あれほど嫌だった人との触れ合いだったというのに、今はもう全く気にする事も無い。
 緩まる腕の中で身体の向きを変え見上げれば、間近にくる政宗の顔に酷く安堵したことは何となく言わないでおく。胸の前で腕を
折り畳んで、額を肩へと乗せてみる。
「…ねえ、何で今日に限って電車なんか乗ってんの?いつもは車だろ?」
 それが一体どんな会社なのか慶次には分からないが、政宗は会社の御曹司である。
 普段の通学は、彼のお目付け役である片倉小十郎が車での送り迎えをしているいうことは学校では有名な話だ。
 なのに今日に限って、何故。
 耳に響く慶次の声に誘われるよう、政宗は頭を傾け鼻先を髪の中へと埋めた。そして、口を開く。
「野郎どもの汚い手から恋人の身を守るのは、男として当然だろうが」
「あれ…もしかして、知ってた?」
「人伝にだけどな」
「あー…」
 あはは、と乾いた笑い声なぞ上げてみるも、それはただの逆効果。
 政宗の声音は明らかに怒っている。いや、怒っていると言うよりも、拗ねているに近いのだろう。
 他人が聞けば感情の篭らないその声であるのだが、慶次の経験上声を荒げるよりも性質が悪いのではないだろうかと思う。
 視線を辺りに配れば、小声で交わされる遣り取りを気にするほどの余裕はこの満員の車内にはないらしい。鼻先が触れそうになるほどに近い二人の距離も、誰も見てはいない。
「しかもよりにもよって、元親から聞かされるとは…」
 そういえば元親も電車組だったか、余計な事を…と、小さく毒づいてみる。今更ながらに堂々と痴漢を突き出していたこと後悔しても、後の祭りに他ならない。
「だって、心配かけたくなかったし…それに、いつも撃退してたしさ」
「触られてからじゃ、遅い」
 バツの悪さに視線を逸らし呟く声は、あっという間に切り捨てられる。
 それから口を噤んで、政宗はその頭を慶次の首筋へと移動させた。
 痴漢をされると言う事は、身体に触れられると言う事。自分以外の名も知らぬ男に慶次の身体を触られて、政宗の心中が穏やかで
 あるわけがない(勿論知っていたとしても許される行為ではないが)。
 しかもそれを知る経緯が恋人からではなく友人の口からだったということから、その心中たるや推して知るべしというところだろうか。
「政宗…」
「もっと、俺を頼れよ」
「…うん…ごめんな」
 素直に謝罪が口に出来たのは、政宗の腕の中が事の他心地良かったから。
 彼を思っての行動が実はその逆になってしまっていたことに、ぺこりと小さく頭を垂れた。痴漢はないとしても、もし自分が逆の立場だったら、と今更考えて更にその謝罪は深くなる。
 慶次も、腕を伸ばして背中へ掌を這わせてみた。抱き締められる力が更に強まる事が、嬉しかった。


「明日からは、俺も電車で行く」
「は?」
 暫く抱き合ったまま電車に揺られていると、不意に政宗が口を開いた。
 服の上から感じるその体温に思考回路が鈍っていた慶次には、疑問符しか浮かばない。
「明日からは、俺も電車で行くって行ったんだ」
「え、でも…」
「お前と、行く」
 耳の側へ降りてくる政宗の唇に、慶次の肩がぴくり、と跳ねる。
「俺がお前を、守る」
 今度は、直に触れて。
 一度言い出したことを政宗が曲げる事が無いくらい、慶次は良く分かっている。
「いいのかい?」
「もう、決めた」
 子供が言うように、何度も、何度も「行く」と政宗は繰り返す。それをじっと腕に抱かれたまま聞いていた。
 本当ならば、諌めなければならないことだ。だが政宗は、自分の為を思ってそうしようとしてくれていることが、慶次には嬉しくてたまらない。自然と頬は緩んで、花の様に顔が綻んだ。
「…じゃ、駅で待ってる」
「OK,電車内では、ずっと抱き締めててやるよ」
「それ、政宗もつの?」
「Ah…肯定は出来ねェな…」
「ばーか」

 電車はもうすぐ、笑い声と共に駅に着く。
 でも、もう少しの間だけ。
 扉が開くそのときまで。
 このまま。





 そして、この話には後日談がつく。昼休みの場所は学校、立ち入り禁止の札の掛かる屋上。
「なァ政宗、スキンシップって言ったってあれはちょっとやり過ぎじゃない?」
「アレか…最初は少しだけにするつもりだったが、お前が思いの他乗り気だったからな。他の男にされてもイイのかと思って」
「はァ?そんなわけないだろ」
「Really?その割りに、拒否らなかったじゃねェか」
「いや、それは…」
「ん?」
 慶次が、政宗の耳元へ顔を寄せる。
 政宗は、頭を其方へ傾ける。
「身体が、政宗の指を覚えてたから」
 そっと囁いた言葉を聞いた直後、二人の顔が朱に染まったのは、言うまでもない。

 フェンスに背中を預けながら、二人の様子を見ているのは猿飛佐助と長曾我部元親。
 自分たちの存在など何処吹く風な二人を横目で見ながら、浅い溜め息を空へ向かって吐き出した。
「反応は、可愛らしいよね」
「やってる事は全くだけどなァ…」
「それは言っちゃ駄目でしょ」
「それに」
「何よ」
「最初から政宗のヤツが、車で慶次を迎えに行けばいいんじゃねェの?」
「……そんなの、初めっからわかってることでしょーが…」

 きっと、二人だって分かってる。
 だけど。

「車なんて要らないよ。政宗が、俺と同じ所にいてくれるのが嬉しいんだから」
 何処から話を聞いていたのか、満面の笑みを浮かべられそんなことを言われたら、佐助も元親も何もいえなくなってしまう。
「はいはい、ごちそーさま」

 佐助がお手上げとばかりに両手を挙げると、昼休み終了5分前のチャイムが鳴り響く。
 走り出すのは同時の四人、けれど政宗と慶次は一旦足を止めて。
 笑顔で、くちびるを重ねた。

 勿論気付いた先行く二人は、振り返ることはない。










作者コメント
とりあえずどうしても書きたかったのは【電車内】と【痴漢】いうことでした。
一つ目はクリアした気分なんですが、後者は中々;
慶次の身体を他の人に触らせた描写は、今回は、度胸が足りませんでした(ガクリ)
で、もう1つは【名前】です。
慶にするか慶次にするかギリギリまで迷ったんですが…ここは1つそのままで!
林檎さんの慶ちゃんとはまた違う慶次をお楽しみ頂ければ幸いです!